YUTA TANAKA田中 裕大
- 2011年4月入社
- ※副店長経験なし
- 2011年9月
- 芝浦食肉南池袋 店長
- 2013年1月
- 芝浦食肉南池袋、関根精肉店三軒茶屋 上級店長
- 2014年11月
- ホルモン事業部 SV 兼 新規事業担当
和牛のすばらしさを世界中に広めるべく、
現在は、生まれてはじめての「事業計画書」に奮闘する日々。
アメリカでの新規事業立ち上げに向けて、
ロサンジェルスの物件を検討中。
2011大学4年 6次産業に可能性を感じて。
大学時代はアメフトに熱中しつつ、実は、ビジネスとしての「農業」にも興味を持っていました。エー・ピーカンパニーの説明会で聞いた、生産から流通、販売までを一直線につなぐ「6次産業」という言葉に、可能性を感じましたね。新しい流通ビジネスを興したいなとワクワクした。生産者の方にも会ってみたいと思ったことを覚えています。

1年目 夏 店長に昇格。テンションは降下(笑)。
入社1年目。待っていたのは試練の連続でした。今でこそテレビにも取り上げられる「ホルモン業態」ですが、新卒で配属した当時は、まだまだ発展途上の状態。でも夏には、そんな未完成のブランドの店長を任されました。新卒の自分にマジか! と思いましたね。右も左もわからないことばかり。それでもわからないなりに、アルバイトの募集から教育まで、ぜんぶひとりでやる時代でした。結果がついてこないのがきつかったですね。

1年目 秋 続く悔しい日々。支えたのは、反骨精神。
できないくせに、鼻息だけは荒い新人でした。事業部長から怒られる日々が続きました。新卒なのに事業部に配属している人数自体が少ないので、定期的に幹部ミーティングにも出席していました。既にブランド化していた「塚田農場」に比べ、その売上の少なさに、肩身のせまいを思いをしたものです。今に見てろよ!と歯をくいしばりました。実は、大学のアメフトも三部のチーム。推薦組で構成される一部や二部のチームには負けたくないという気持ちでやっていた。僕という人間は、8割の反骨心と2割の社会性でできているようです(笑)。

2年目 師匠に指摘を受ける、修行時代。
依然として、ホルモン業態の数字は伸び悩んでいました。ここで、心の師、井上さんと出会います。井上さんは前職がコンサルタント。今は、我こそは井上チルドレンとはっきり言えますが、出会った当時はクールだし、ロジカルだし、いけすかない感じでした。「田中、大事なのはメンバーとの価値観との共有だよ」と冷静に言ってくる。約束が果たせなければ、目で殺してくる。至らないところをストレートに的確に突いてくる。けど、つらかった分、大きな気付きもありました。井上さんがいつも言っていたのは、働いている人が楽しいかどうか。その大事さを、本気で考えるようになっていったんです。

3年目 ついにブレイク!考え方が成長したら、結果がついてきた!
前より、人に対してイライラしなくなりました。自分だけの狭い考えにしばられず、スタッフの意見を聞いたり、ゆずるところはゆずれるようになっていった。人を幸せにすることが自分の仕事なんだ、と本気で思えるようになった。なんででしょう?自分で自分を「成長した」なんて言いたくないけど、違った角度からモノを見られるようになった。そして、打たれても叱られても、めげずに続けた2年間の結果、ホルモン業態は大ブレイクを果たしました。

4年目 入社時の夢を掴むとき。志望理由が、3年で現実に。
いま、僕の前には新しいミッションがあります。和牛のすばらしさをアメリカへ広めていく新規事業です。これまでとは扱うお金の規模もちがう。生産者さんと話し合いながら、和牛の良さを、どうアメリカに広めるかを考え、実行する。学生の時に憧れていた6次産業のビジネスを、ようやく仕事にできたところ。志望理由に掲げたやりたい仕事に、3年でたどりつけるなんて、やっぱりエー・ピーカンパニーはありきたりじゃない会社だと思います。

成長、キャリアアップと人は言う。
その本当のところって、
なんですか?
「キャリア」「成長」と言うけれど、実際、どこの会社でも入社から3年目ぐらいまではつらい日々が続くのではないでしょうか。だからこそ、本気で挑みたい道を進んでほしい。自分でもがいて、歯をくいしばって掴んでこそ、本当の成長じゃないですか。だから、昔の自分にも言いたいです。黙ってやろう。結果で示そうぜ。その先には、のぞむ未来が必ず待っているぞと。