YASUMA KITAMURA北村 泰麿
- 2012年
- 入社
- 2012年12月
- 塚田農場調布北口 副料理長
- 2013年6月
- 塚田農場吉祥寺北口 料理長
- 2013年11月
- 塚田農場・吉祥寺北口、吉祥寺南口 上級料理長
- 2014年3月
- 地鶏第2事業部 調理SV
- 2015年4月
- 史上最速で副部長に昇進
幼い頃は虚弱体質だったが
学生時代の剣道経験を通して心身ともに強い男に。
夢は「バーを経営すること」。
20代で独立するノウハウを学ぶためエー・ピーカンパニーに就職したが
独立以上の可能性をいまの仕事場に見出す。
大学4年 就活 汗ダラダラにビジョンを語る社長にほれる。
面接では「外食・中食業界志望」と話していました。しかし本心ではブライダルやアパレル、華やかな業界に憧れていました。それでも、ここに入社したのは、説明会で、汗ダラダラになって一生懸命に話す社長にほれたから。自分の実家も畑を持っていたので、生産者が報われるビジネスって、すごくいいなと思ったんです。
1年目 入社時 料理の技術力を向上する日々。
料理は、学生時代にやっていたアルバイト時代から好きでした。キッチンに配属になったあとは、家でも卵焼きの練習、キャベツの千切りの練習を重ねました。基本的に、できないことは、できるようにならないと気がすまないタイプ。昨日先輩に注意されたことは、次の日には改善しておく。同じことを2度言われたくないので、こっそり練習を繰り返していました。
1年目 秋 このままで、独立スキルは身に付くのか?
入社して半年経ったころ、自分の理想像(将来はバーを経営したい)と現状の自分の仕事にギャップを感じ始めました。これ、つながっているのかなって。早く店舗を自力で運営するスキルを身につけたいのに、思うようにいかない毎日が続きました。でも、そんな時、上司が言ってくれたんです。『上にあがったら、見える景色が変わるよ』。目が覚めました。迷いが抜けました。まずは料理長になってから決めようと踏みとどまりました。
2年目 料理長になり、新記録達成。
料理長になり、自分の責任でお店を動かす楽しさを知りました。これまで、自分の中にためていたアイデアを、どんどんカタチにしました。それを高めることに喜びを感じると、今度は料理のクオリティがいちばん高い店と評価されるようになりました。吉祥寺への出店も任され、1年後の2013年11月には、料理の質・味を競い合うキッチンオリンピックにおいて、1位と2位を独占。さらに新卒の中で最速で上級料理長に昇進しました。結果を出せば、若さも年次も関係なく、どんどん次のステージをつかみとれる。それがエー・ピーカンパニーの良さだと思います。
3年目 仕事のやり方より、人としてのあり方。
社会人3年目ともなると、みんな「オレはこのままでいいんだろーか」と一度は考え始めるもの。僕自身27歳で独立したいと思っていたので、悶々と悩んでいました。でも、3年間働いた中で、気付きもありました。それは、仕事のやり方を覚えるよりも、人としてのあり方を磨くことが大事なんだということ。ついつい若いうちは、技術に目がいきます。できることが増えていくのが成長だと思ってしまう。そんな時、また上司に言われました。「上にあがったら、見える景色が変わるよ」。人してもっと大きくなれるなら、昇進するのもいいかもしれない。スーパーバイザーとして多店舗を統括する立場に立つ決意をしました。
現在 キッチンの先に、新しい食ビジネスが見えてきた。
スーパーバイザーとしての視界に立つと、エー・ピーカンパニーの未来は、こんなにも広がりがあるのか、と気付かされた。学生時代からこだわっていた独立願望が小さく見えてしまうほど。ひとりでお店をやるよりも、他店をまわって新たなノウハウを身につけるよりも、ここにいるのが、いちばん力がつく。次は、新卒で初のキッチン出身の部長になって、新業態を立ち上げたいと思っています。
成長、キャリアアップと人は言う。
その本当のところって、
なんですか?
「上にあがったら、景色が変わるよ」キャリアビジョンに迷った時、いつもその一言で踏みとどまってきました。半分、だまされてきたと思うんですけど(笑)。単純に好きなんです、上にいくのが。でもそれで成長できたかと言うと、そんな簡単なことじゃない。成長は、仕事のやり方より、人としてのあり方にあらわれるもの。エキサイティングな人生には、人間性こそが大事。だからもっとここで自分を磨いて、大きなことができる人間になりたいですね。