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日本のさくら。シンガポールで、咲く。 WHY HUNGRY

02

SAKURA HONDA本多 さくら

2010年
入社
2010年5月
魚貝バル KINOSHIGE 副店長
2011年4月
塚田農場京王渋谷西口 店長
2012年3月
魚業態へ異動
2012年9月
シンガポールへ
2013年
シンガポール1号、2号、3号 マネージャー
2014年4月
シンガポール事業部 部長

上智大学でポルトガル語を学び、
入社時から「世界進出」を訴え続ける。
新卒3年目にして、念願の海外1号店を任され、
現在はシンガポール事業部 部長に就任。

2009大学4年 愛すべき大バカ野郎たちと出会う。

上智でポルトガル語を学びながら、ホテルで接客のアルバイト。親からもらった「さくら」の名のごとく、日本を笑顔にする仕事がしたい! と思っていました。就活で重視したのは「大企業」じゃなくて「大きいことをしようとしている企業」。当時のエー・ピーカンパニーはまだまだ知名度もない小さい会社で、説明会もたった数名の参加なのに、目をうるませながら志を語る大人がいた。この人たち「愛すべきバカヤロウだ! 」と感動しました。親には反対されたけど、直感で入社を決めました。

1-2年目 予言?宣言?「世界へ行く!」。

入社してすぐに「私がこの会社を世界に連れていきます」と宣言。世界に出ていくなんて、うちの会社説明会で言ってたっけ? と先輩につっこまれましたが、「いや、言ってないですけど、なにか?」と。あたたかい先輩たちに見守られ、1年目の9月から渋谷2号店の立ち上げへ。2年目の4月から店長に。大変なことも多かったけど、思い出深い職場です。生産者の想いを中心に、スタッフも、お客様も、まるで家族のような絆でつながっていました。夏に開催した1周年イベントでは、夕方から閉店まで、常連さんでお店が埋まってしまい、なんだかお正月の親戚の集まりみたいでした。

3年目 6月 シンガポール店、立ち上げへ。

仕事も一人前になってきたところ。そんなある日。海外へ行く人を募る知らせがありました。これまであんなに世界へ行く!と言っていたのに、すぐに手を挙げることができなかった。後輩たちのことが気がかりで。でも先輩が背中を押してくれました。「いつもと同じ選択をしていたら、いつもと同じ明日にしかならないよ」って。後輩たちには、いかないで!と泣いて止められたし、私も、別れるのがつらくて泣きました。でも「自分が世界へ出て、この子たちの可能性を広げるんだ! 」と決意して、2012年8月23日シンガポールへ。

3年目 秋 異文化 VS さくら

自分で手をあげて世界へ出た私ですが、しばらく「こんなつらい思いをさせる、エー・ピーカンパニーなんて大嫌いだ〜」と他責な気持ちで働いていました(笑)。なぜって、外国のスタッフは、人の言うことを聞かない! それに、海外で、それもたったひとりに出店のプランニングを任せるなんて、ありきたりじゃなさ過ぎる!もう、何度泣いたことでしょう。そんな夜、私は決まってドラゴンボールを読みました。でっかい気持ちを悟空が思い出させてくれる(笑)。私は、エー・ピーカンパニー代表、そして日本を代表する「さくら」。シンガポールのお店を満開(満員)にしてやろうじゃないか! と自分で自分を奮い立たせていました。

4年目 私の奮闘に、スタッフが動きはじめた。

現地のお客様も、現地のスタッフも、英語もおぼつかない私の「あり方」に、少しずつ共感してくれるようになってきた。お手紙をくれるお客様があらわれたり、スタッフのほうから私に声をかけてくれることが増えてきた。私の言うことに耳を傾け、共感してくれるスタッフが増えれば、自分もこの子たちのためにがんばりたい、と思えるようになるものです。そうなったら、あとは渋谷にいたときと同じです。日本人も外国人も変わらない。がむしゃらに走りながら、1年で、親戚の集まりみたいなお店を、1店舗続けて立ち上げることができました。

5年目 シンガポールの先に挑む「部長」に就任。

2014年の4月、「部長」に就任しました。この年にして、この肩書きは、妙な気分ですが(笑)。これからも、さらに「世界」へ突き進みたいですね。アジアの次は、アメリカ? ヨーロッパ? 相手に不足なし! ですよ。どうせ働くなら、大きなことにチャレンジしようじゃないですか。エー・ピーカンパニーは、世界に通用する会社だと思うんですよね。

成長、キャリアアップと人は言う。
その本当のところって、
なんですか?

尊敬できる人に出会い、感化され、自分も成長し、考えもしなかったことができるようになる。それが「成長」だと思っています。店長、部長とキャリアアップしていく中で気付いたのですが、人の先を歩けば、どうしても孤独にならざるを得ません。けど、私が道を開けば、後からくる後輩は確実に歩きやすくなります。そしてその後輩には、私よりさらにその先を切り開いてもらいたいですね。